聞法のページ

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 ここでは、聞法の姿勢で語ったこと書いたことを披露することにします。ご助言ご叱正をお願いします。

「親鸞様を訪ねて一万マイル」

(96.10.17)顕真館:朝の法話の原稿)

皆さん、おはようございます。今日は、顕真週間にちなんで、お話をさせていただくことになりました。いちおう、テーマとして「親鸞様を訪ねて1万マイル」と表現しておきたいと思います。変な題だと思われるかもしれませんが、去る8月にブラジル・サンパウロの本願寺の別院を訪問し見聞したことを元にお話をさせていただこうということからつけた表題です。南米サンパウロまで実際に1万マイルなのかどうかは知りませんが、ちょうど地球の反対側ですので、そのように表現したわけです。直行便(LA経由)で23ー25時間程かかる距離ですが、日本の多くの人にとっての心理的な距離感はそれよりもはるかに遠いところだと思われます。

 この夏、私は、サンパウロの前にシカゴに行きました。そして、南米の後にはスイスとドイツにも行きました。地球を一周したことになりますが、そのような計画を春頃から人に話すと、一定の反応があることに気づきました。多くの人は、シカゴやミュンヘンという町の名前を聞いても特に目立った反応はされません。大学関係者が夏休みにアメリカやヨーロッパ等に行くのは別に珍しいことではなく、「あ、そ、元気でね」という反応で終わりです。ところが、「サンパウロに行く」と聞くと、「え、どこに行くって。サンパウロって、たしか、ブラジルだよね、でも、なんで、また、そんなに遠いところへ行くの、何があるの?」と、とにかく根掘り葉掘り関心を示してくれます。この反応が面白くて夏休み前は、このことをだいぶん楽しませていただきました。もっとも、人のことは言えません、私自身が、アメリカやヨーロッパへ行く場合には、なんとなく要領が分かったような気持ちを持っていますが、南米サンパウロへ行くとなってからは、過剰ともいえるような緊張状態でしたから。

 ともかくも、百聞は一見にしかず、ということで思い切って行きました。サンパウロの町の雰囲気は私の予想とそれほどは違ってはいませんでしたが、ブラジル・サンパウロでの日系社会の存在の大きさとその雰囲気は、私にとって一つの発見というかカルチャーショックでした。

 お世話になったのが本願寺伯国別院で、お寺に関わりを持っておられる比較的年輩の方々ばかりに出会っているということにも起因しているのでしょうが、 古き良き時代の日本のまっただ中にいる、という印象を強く受けました。聞こえてくる言葉も日本語ばかりです。同じ日系社会といっても、ハワイや北米とは事情が大変異なっている、という印象でした。

 また、ブラジルと日本は非常に離れているわけですが、心理的にはたいへん近い感じがしました。ブラジルの日系の人々にとって、日本はすぐそこにあるところと感じられているように思いました。いつも日本のことが関心の中にあるのです。それは、移民・移住によって形成されてきた社会の特徴ではないかとも思われます。そのような雰囲気の中で、仏教・お寺は、「日本」ということがらと一体になっている独特の存在だと思います。ただ、それは、一世・二世と三世・四世との世代の違い、また、日本語がわかる・わからないという事情、日系社会・非日系社会という差異、などが重なり合った文脈の中での「日本」を象徴するもののようにも思われました。

 南米へ寄せて貰う際の関心は次のようなものでした。宗教学を学んでいる関係で、現代社会の宗教事情(世界各地で、世俗化状況が進み、伝統的な宗教教団への関心が薄らぐ一方で、種々の新宗教やファンダメンタリズム運動が盛んになっている)に関して、南米・ブラジルでは、日本や北米・西欧とは、かなり異なった宗教事情があるのではないだろうか、という関心でした。また、私自身、真宗の僧籍の末席を汚している者として、ブラジル・南米の仏教はどのような姿をしているのだろうか、という関心も少なからずありました。

わずか10日間の滞在でしたが、多くのことを見聞することが出来ました。 特に、ブラジルにおける仏教(真宗、教団)が抱えている問題、課題について多くの方から聞いたことは、等しく、言葉の問題、日系・非日系社会の間の見えない壁、開教使の方の絶対数の不足、などなどです。しかし、また、そのような課題を抱えながらも、現在の日本では失われているような「日本のよさ」の一面が生きている、昔からの真宗・仏教、お念仏を喜ぶ方々の生活が、現在の日本以上に見える形で存在している、という印象を受けました。

地球の反対側という遠いところから日本を眺めると、改めて、「粟散片州(小さな粟粒、切れ端のようなちっぽけなところ)という言葉が思い起こされました。ご存じのことですが、源空・法然上人を讃える和讃に次のようなものがあります。

 善導源信すすむとも  本師源空ひろめずば

 片州濁世のともがらは いかでか真宗をさとらまし

 粟散片州に誕生して  念仏宗をひろめしむ

 衆生教化のためにとて この土にたびたびきらたしむ

また、正信偈に次のような言葉があります。

  本師源空明仏教  憐愍善悪凡夫人

  真宗教証興片州  選択本願弘悪世

和訳  源空上人智慧すぐれ  おろかなるものあわれみて

      浄土真宗おこしては  本願念仏ひろめます

 偲えば、仏教の歴史、インドから西域、中国、また、日本へと大乗の教えが伝えられてきた歩みも多くの先達のご苦労のおかげです。釈尊が悟りを開かれた印度(天竺)や善導大師がお念仏の道を示してくださった中国に比して、日本は粟散片州(小さな粟粒、切れ端のようなちっぽけなところ)にすぎません。でも、そのような世界の片隅のようなところで、法然上人は善導大師の導きで、本願の教えに出会われ、浄土の真まことの教えを弘めてくださいました。

[以下は、サンパウロ、ブエノスアイレスのお寺でお話をさせていただいたときの原稿です]

 今回、私がブラジルに行くと言ったら日本の多くの人は不思議そうな反応を示しました。でも、なぜか私は南米へ来たいと思っていました。その時は気がついていなかったのですが、ちょうど、其の昔、お念仏の教えについて納得したいと思って、関東のお弟子が親鸞聖人を訪ねられたということ(『歎異抄』第二章)と同じではないかと今では思っています。昔の歩く旅や何十日も船で来られた方々と比較はできませんが、私なりに一万マイル(もっとあるかもしれません)もの旅をしたおかげで、親鸞聖人(の教えをよろこぶ多くの方々)にお会いできたのだと思いました。

「おのおの、十余ヶ国の境を越えて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。・・・弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず、仏説まことにおはしまさば、善導の御釈、虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然のおほせそらごとならんや。法然のおほせまことならば、親鸞がまふすむね、またもてむなしかるべからずさふらふか。」(『歎異抄』第二章)

お念仏のいわれについて、何度聞かしてもらっても、なかなか納得というか素直に私の中に入ってきません。でも、こうして、長旅?をして、言葉も習慣も全く違う環境の中に身をおくと、仏法を伝えて下さった多くの方々のご苦労がわかるような気もします。

地球の上の距離からすると、ものすごく遠い南米の地ですが、ここに仏教が伝わっています。明治の頃からの移住者の方々は、あるいは、仏教を伝えようという関心で南米まで来られたのではないかもしれませんが、仏法をよろこぶ人々の人生の積み重ねによって、日本から遠く離れた南米の地にも仏教が根付いています。そもそも、仏教が伝わってきた歩みもこのようなものではないでしょうか。

 インドから西域、中国へ伝わったときも、日本へ伝わってからの歩みも、また、現代のように、アメリカやヨーロッパにも伝わっている状況も、みんな、それぞれ一人の方が仏法を味わっておられることの結果としての積み重ねではないでしょうか。一人の人間が、「この私」が仏法に出会っている、というところでは、地球上のどこかの「片州きれはしのようなちっぽけなところ」なのか、はたまた、なにかの「中心」であるのか、は問題ではなくなっていると思われます。

 そのようなことを学ばせていただいた南米訪問だったのではないかと思っております。


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このページの更新日 1996.12.17