南米と西欧における真宗/仏教/宗教


(shin-)buddhism and culture in south america and europe --- a report of August/September 1996 ---



A.南米の真宗/仏教/宗教


サンパウロの本願寺伯国別院 Aug.96 高田撮影

96年9月記:最近、久々に、「日本脱出」を果たし、日本社会の長所短所を再考する機会がありました。Mileage Serviceの距離加算が目的ではなかったのですが、ともかくも、地球を一周しました。シカゴでの会合参加、サンパウロ、ブエノスアイレス、ジュネーヴ、デュッセルドルフにある、西本願寺関係の諸寺院を訪問するなどの予定で、とりあえずの成果は、「サンタさんか浦島さんじゃないか(と娘たちには不評を買っている)」髭だけです。以下は、その見聞録(とりあえずの感想文)です、ぼちぼち、修正していくつもりはしています。


浄土真宗本願寺派には、日本国内の教区組織とは別に、北米開教区、カナダ開教区、ハワイ開教区、南米開教区がある。他に、メキシコには開教事務所がある。南米開教区の現況は以下の通りである(浄土真宗本願寺派、94-5海外寺院名簿および聞き取り)。

寺院、教会、分院、仏教会、 総数約60

開教使約20名 開教使補(ブラジルにての得度者)約20名

法務使(得度はしていないが、経験的実務的に法務に携わる)約10名[南米独自の存在]

非日系の得度者が数名(6名程)

アルゼンチン(ブエノスアイレス本願寺教会)、パラグアイ(アマンバイ本願寺)にも見られるが、殆どはブラジルである。お寺は基本的に日系人が住んでいるところにある。ペルーにもお寺を持とうという機運が盛り上がっている。

ブラジルでの日系社会の存在は大きいが、仏教(真宗)の開教・伝道にとっての課題は多い。特に、ブラジル語がよくできる・あまりできない、という言葉の問題、日系・非日系社会の間の見えない壁、仏教(教団)が専ら日系社会のコア、精神的なよりどころとして機能している、お寺への関心は主として葬儀・法事(四十九日法事が重要)である、一方、お寺の側の問題として開教使の方の絶対数が極めて不足している、などなどである。

ブラジル移民の歴史は古い、1908年の笠戸丸の時以来である。 現在、日系人は120万人ほど、そのうち、20万人程が日本へ出稼ぎに行っているとのことである。以前は農村コロニア中心であったが、1970年代に経済・社会の大きな変化があり、現在、日系人は多くが都市に住んでいるとのことである。 本願寺派南米教団は、1954[昭和29]年、御門主の巡教を機に創設されているが、それ以前から、人々の自然な宗教的関心(先だった近親者を手篤く弔いたい、仏教の教えを聞きたい)によって、お寺は既に生まれていた。教団は、いわば、そのような個々の仏教会・お寺等を統合して生まれたとも言える。 花祭りが、ブラジル仏教連合会[日蓮宗、本派本願寺、浄土宗、東本願寺、曹洞宗、真言宗]主催、リベルダーデ商工会後援により、催されている、1996年で第30回を数えている。 日系社会の情報源(邦字新聞):パウリスタ新聞Jornal Paulista、日伯毎日新聞Diario Nippak、サンパウロ新聞Sao Paulo Shimbunがある。ブエノスアイレスには、らぷらた報知 LA PLATA HOCHIがある。 現在の日本では失われているような「日本のよさ」の一面が生きている、

B.西欧の真宗/仏教/宗教


デュッセルドルフのドイツ「恵光ハウス」日本文化センタ− Sept.96 高田撮影(日本の寺院より日本的で、当地の人々にとっては好奇の的で、かなり、見学者もあるようです)

沼田恵範氏により創設された仏教伝道協会によって、設立された社団法人ドイツ「恵光」日本文化センター(EKO-Haus der Japanischen Kultur e.V.)である。このセンターは、仏教寺院(浄土真宗本願寺派恵光寺阿弥陀堂)、大小二つの日本庭園、お茶室つき日本家屋などからなり、建物の半地下には、展示室、講堂(釈迦堂)、ゼミナール室がある(幼稚園、宿泊施設つき図書館も予定されている)。そこでの行事は、彼岸会、盂蘭盆会、除夜会などの法要、座禅会、学術シンポジウム、日本文化についての講演会、連続講演、仏教経典の読書会、美術・工芸の展示会、演奏会、各種文化コース(書道、生花、日本舞踊等、および、日本語によるドイツ文化講座)、お茶会、映画会、日本庭園祭、その他である。

(以上、恵光ハウスのパンフレットから)

仏教伝道協会の中心人物、沼田恵範氏(広島県の浄土真宗寺院出身1984--1992)に少し触れなければならない。

「恵範師は幼い頃から 将来 僧侶になることを望み 周囲の人びとも それを期待していたのです 西本願寺から開教使補として アメリカ留学に派遣され 異国で布教するつもりでしたが 国際的見聞を広めていく中 いかにして世界に仏教を弘く伝えてゆけるか 自分がなしうることはなにか 真剣に考えた末 『外から仏教を護り助けることだ 自分の道は仏教の外護者 これしかない』 そう確信したのです 大きな志を抱き その志を実現するために 日本の社会と経済に貢献できる 事業を興し 長い年月にわたり心血を注いで事業を成功に導き 仏教伝道の初志を貫徹させたのです」(『The Nembutsu is the Unimpeded Single Path 念仏は無碍[石へんに疑]の一道--沼田恵範の世界The World of Numata Yehan』(日英対訳)仏教伝道協会、平成8年、17頁)。

1925年、『ザ・パシフィック・ワールド』誌を創刊。

1934年、株式会社ミツトヨ[三豊]創業。

1965年、ミツトヨ創業30周年を記念して、財団法人仏教伝道協会が設立される。この協会は、仏典を世界各地のホテルや病院等へ寄贈、仏典翻訳(大蔵経英訳進行中)、大学への寄付講座、実践布教研究会、各種文化活動等、広義の仏教伝道活動を行っている。平成8年3月現在、36カ国語、全普及数530万冊。

1985年、宇都宮に三豊山恵光寺を建立。

1988年、東西文化交流の場として、ドイツ「恵光」日本文化センター建設に着手する(礎石を置く)。ドイツのデュッセルドルフに、寺院と文化センターを一体にしたものを建てるとの了解で市から土地を取得し、恵光ハウスを建設

1992年恵光寺本堂が落成

1995年山門が落成する。

★春と秋に学術シンポジウムが企画され、その成果が雑誌『法輪--日本文化の比較研究』Horin:Vergleichende Studien zur japanischen Kulturとして出版されている。a)春が芸術、文化関係のテーマで、b)秋が仏教、宗教関係のテーマで、企画され、日本学,哲学思想,仏教,宗教研究等関係の専門家が広く招待されている。そして、c)報恩講の時期に、主にドイツの真宗者が集う会合が企画されている。96年秋現在、『法輪』が3冊刊行されている。

第1巻「種々の方向−−仏教と西洋思想」(93年秋シンポジウム)     Orientierungen--Buddhismus und westliches Denken  

第2巻「超越−−神概念への仏教の批判」(94年秋シンポジウム)     Transzendenz:Buddhistische Kritik an Gottesbegriffen

第3巻「芸術の現れ:美的なるものの日本的観念とヨーロッパにおける影響」 (94、95年春シンポジウム)Der Schein der Kunst.Japanische Konzepte des Aesthetischen und ihr Einfluss in Europa

なお、96年秋は「因果関係:仏教と西洋思想における原因と結果# Kausalitaet:Ursache und Wirkung im buddhistischen und westlichen Denken というテーマで9月4−7日に開催された。 なお、前述の「海外寺院名簿」では、「ヨーロッパ開教地区」に、「ドイツ浄土真宗協会」(バートライヒェンハル、ベルリン)、「スイス浄土真宗協会(信楽寺)」(ジュネーヴ)、「念仏庵」(スイス、イヴェルドン)、「慈光寺」(ベルギー、アントワープ)、「オーストリア浄土真宗協会」(ザルツブルク)が掲載されている(他に、ウィーン郊外にもお寺の建立計画が進んでいる)。

スイス・ジュネーヴの信楽寺にて、エラクル師と共に。信楽寺は、ジュネーヴの駅のすぐ近くの住宅の一室にあるので、街路からは見えません。

ジャン・エラクル師は、元カトリック教会の聖職者です。キリスト教徒から仏教徒へ「改宗」された経緯については、著書『十字架から芬陀利華へ−−真宗僧侶になったある神父の回想−−』(金子慧訳、国際佛教文化協会、1993年)に詳しく述べられています。宗教者、求道者としての関心を生きておられる方で、いわば、結果としてキリスト教徒であり、結果として仏教徒である、といえると思います。

同書5p「私の内なる宗教的要請に従った・・・清浄なる仏教の道を辿ることによって、心の大きな平安が得られたから、キリスト教は古着のように私から抜け落ちていったのです。私は仏教に改宗したのではないのです。ある日、気が付くと仏陀の弟子になっていたのです。私の内部での葛藤は本当にありませんでした。私の中の精神的な促しが、私が行こうともしなかったところへ私を導いていったのです。決して福音書を捨てたわけでもなく、なおさらキリストを否定したのでもありません。ある日突然に、福音書が私にとって、もはや意味を持たなくなったこと、キリストが私の生活の中で、すべての確実性を喪ってしまったことを理解したのです。」

C.真宗仏教にとっての課題(感想)

南米やヨーロッパの真宗仏教の姿に接すると、日本での姿、ハワイ北米での姿との違いが際だってくる。いずれも、親鸞聖人の仏教・本願理解を核にしながら、それぞれの社会的文化的伝統に規定された姿をしていて、相互の違いは、それぞれの在り方を相対化するからである。

 端的に言えば、南米での姿は、日本の古き良き時代の在り方そのもので、ヨーロッパでの姿は宗教の可能性が自己発現した姿(特に日系社会というような基盤背景とは無関係、ただ、広義の東洋/日本文化への関心とは相関があるかもしれない)と言える。

 南米でのお寺(真宗に限らない)は基本的に日系人社会を基盤としていて、しかも、一、二世と三、四世との間での文化(言葉や宗教等々)の継承に大きな課題が自覚されている(非日系で僧籍にある方の数は一桁の後半、東本願寺関係に若干おられるとのこと、これらの方は基本的に、ヨーロッパの真宗者と同じ姿である)。一方、ヨーロッパでの真宗者は、それぞれの宗教的求道的関心の中で「親鸞」「本願」に遇われた方々が大半で(宗教研究、仏教研究において、また、自らのキリスト教的な求道からの転進として等々)、総数としても数十人ほどではないだろうか。ある人は自宅をお寺にされていて、そこに、関心のある方、ご縁の方が集っている(だけで、南米でのような日系社会、日本での寺檀関係のような社会的形態でない、ことはいうまでもない)。

 ハワイ北米の真宗仏教の形態は、それらに比して、おそらく、もっと複雑な様相をもっているのだろうが、基本的には両者の中間的形態、いわば、壮大なプルーラリズム(価値多元的)社会とも言える北米社会にあって、東洋/日本的文化、日系社会、(個々人、人類の)宗教的可能性(複数)の多様な組み合わせの形態ではないだろうか。

 日本社会で成立してきた(仏教諸流の中での、密教的、禅的、法華信仰的要素とは異なる)真宗的エートスと祖先崇拝・イエ社会的な寺檀関係を持っている(日本的な)真宗の姿も、それなりに相対化されてはいる。同時に、思想的教学的な「親鸞」理解においては、日本での伝統的形態に規範が求められている。特に日本(日系)の僧籍者の多くは、思想的教学的に理解される「親鸞像」と実際に教団に集ってくる人々の広義の文化的関心(いわば宗教としてよりはむしろ日本的なものを確かめられる場、事柄への関心が優位にあると思われる)とがズレている、との悩み(日本の中でも支配的)を持ち、「開教」という概念の重みを感じているように思われる。

 それぞれの姿を宗教的な諸可能性の姿として(現状追認としてではなく)認めながらも、「あるべき《親鸞》理解」探究には、多くの課題があることを想起させられた数週間ではありました(以上、とりあえずの感想です、96/9/12。「信楽寺」部分、10/25)。


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このページの更新日 1996.09.30