「サロン洗心」

別名「バーチャル・ゼミ宗教study」

★niftyserveでのPatio「洗心」は終了しました。御協力いただいた方々に感謝します。 なお、下記の「関心」は、後日の再出発の日が來るまで、残しておきたいと思います。

★ホームページ「洗心」に関心を持っていただいた方々を、ニフティサーブのPatioパティオ(「サロン洗心」別名「バーチャル・ゼミ宗教study」)へ御招待しようと、「ホームパーティ」を開設しました。

★niftyでのPATIO移行方針に伴う変更をしました。(97/6/20)

★一定の活動を終え、将来の新たな出発の日を期することにしました。(2000/10/9)

「サロン洗心」の関心

「サロン洗心」のキーワードは「(いろんな意味での)宗教、(いろんな意味での)哲学」あるいは「宗教、仏教、真宗、哲学」です。このキーワードを関心事とするディアローグ(対話、意見交換)、モノローグ(独り言)に対する場所を提供したいと思います(ホームパーティ設定者が取り仕切るわけではありません)。

私(高田)が関係しているのは「大学」と「お寺」ですが、大学も寺院も、本来、現在のような「制度化」してしまっているものよりも、ずっと、広く深いものだと思います。宗教とか哲学思想というものは、元来、個々人の責任の下で、求められ、思索され、実践されるものだと思います。それなのに、どうして、「制度化」されたところでのものが「権威」を持っているのでしょうか。もっとも、権威を持っていると思っている事自体が幻想なのでしょうが、とりあえず、その「幻想」の相対的な事実性を前提した上で、

「大学の内と外で何が違うのか、本来、どのようにもとめるべきなのか」

「お寺の内と外で何が違うのか、本来、どのようにもとめるべきなのか」

★「大学」にとって

幸い?なことに、日本の大学を取り巻く状況の変化の中で、これまでの大学の「内と外」の垣根が低くなりつつあります。社会人入試や夜間主コース、「市民教養大学」的な諸コース、諸講座が種々試みられています。大学で「宗教」や「哲学・思想」を関心事とする人々にとっては、むしろ、好ましい状況でしょう。

★「お寺」にとって

宗教、特に、仏教の「お寺」を巡る日本社会での状況において、「お寺」の「内と外」の区別は、どうでしょうか。昨今の「宗教(論)ブーム」のおかげで、語りやすくなったのかもしれません、いろんな意見が飛び交っています。そもそも、日本社会での「既成の、伝統的な」仏教の「お寺(宗教共同体、教団)」の「内と外」の境は、もはや、問題にできないほど「見えなく」なっているのでしょうか、それとも・・・・。

幸い?なことに、現在では、「既存の、既成の」「お寺」とは「無関係に」何でも語り、実践できる環境が整っています。これを「世俗化」というのか「宗教復権」というのかわかりませんが、ともかく、可能性は(否定的評価の方向も、もちろん、含まれた形で)最大限に大きなものがあるように思われます。

以上が、patio「洗心」の関心でした。今後とも、よろしく、お願いします。

このページの更新日 2000.10.09